不定愁訴を訴える高齢者の方への対応(第2回目)-高齢者の心理状態

日々の臨床の中で、「不定愁訴を訴えている高齢のご家族(両親、姑、舅)」への対応方法について質問を受けることが多くあります。

 

前回から、そうした質問を受けた際に、お伝えしていることを書いています。

 

今回は、「不定愁訴を訴える高齢者の方への対応」(3回シリーズ)の2回目です。

 

(今後の予定)

第1回目 不定愁訴について

・第2回目 高齢者の心理状態

・第3回目 実際の対応について

 

それでは、「高齢者の心理状態」について説明します。

(1)一般的な高齢者の心理状態

人間が恐怖・不安を感じる原因はいくつかあります。

例えば、

何か新しいことを始めようとする時の失敗することへの恐怖・不安。

人からどう思われるか(=自分への信頼を失うのではないか?)という恐怖・不安。

今あるものを失うことへのの恐怖・不安。

‥‥

こうして考えてみると、何かを失うこと関係することが多いと思いませんか?

 

そうなのです。実は、人間は既に手に入れているものを失うことに対しては、特に大きな恐怖・不安を感じると言われています。

そのため、これまでできていたことができなくなっていることに気づく時、大きな恐怖・不安に襲われます。

誰しもある年齢を超えると、少しずつこのような体験をし始めますが、一般に高齢者と呼ばれるような年令になり、このような体験がかなり頻回に起こるようになると、その心理状態はどうなるのでしょうか?

少し想像してみたいと思います。

 

★具体的には、

①体力的に疲れやすくなる(持続力が減る) ②昔のように無理がきかなくなる(瞬発力が減る) ③記憶力も劣る ④思考がうまく働かなくなる

→これまで持っていた自分への自信が減ってくる。

→何となくこれまで自分が持っていた「コントロールできる感覚」が壊れていく感じが増える。

→この先どうなってしまうのか予測できないという不安感に包まれる。(漠然とした不安につながりやすい)

→そのような時、無意識のうちに、(日頃は忙しさに紛れ考えることのない)死を実感してしまうのかもしれません。

→誰かに頼りたい気持ちが大きくなる(海で溺れていて、わらにもすがるような気持ちに近い?)。

 

人によっては、このような時に、人生の終末をよりリアルなものとして意識するようになるのかもしれません。

 

一方で、それに対し、これまでの記憶というものが、それに対し強力に抵抗します。それまでの人生で築き上げてきた人間関係、プライドと言っても良いかもしれません。自分の弱みをさらけ出すことへの抵抗でもあります。これは生きるためのエネルギーを与えてくれることも事実です。

しかし、全体で見ると、弱みを見せることなくしっかりしないといけないと頑張る自分と、不安で仕方なくて助けてほしいと叫びたい自分が共存し、葛藤している状態。

これは、例えるなら、アクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態であり、多くのエネルギーが浪費されている緊張状態です。

日中、起きている間中この状態が続いているのです(実は、潜在意識的には、寝ている間も)。

 

これが一般的な高齢者の心の状態だと思われます。仮に、普段意識している具体的な問題が全くないとしても、ベースにはこれだけのストレスがあるということです。(実際に高齢者になってみないと実感しにくいものですが)

(中には、自分をさらけ出し、プライドにこだわらず、遠慮なく助けを求め、周りと良い関係を築きリラックスしてストレスが少ない方もいます。そうした方は、無駄にエネルギーを浪費しないので、一般に精神的にも肉体的にも健康的であることが多いようです。)

 

(2)不定愁訴を周囲に訴えている高齢者の心理状態

 

これまでの説明をもとに考えると、

高齢者が不定愁訴を周囲に訴えている時点で明らかなことがいくつかあります。

 

①自分の中に辛さを押し留めておけなくなっている。

→心理的な余裕がなくなっていることの表れ。

→多くの高齢者がベースに抱えている心理的葛藤に加え、さらに他の問題を抱えているストレスが大きくなった可能性があります。

 

一般に、元々、弱音を吐かなかった人であれば、それだけ自制心が強いはずですので、弱音を吐く閾値が高いはずです。つまりは、その高い閾値を上回る過大なストレス状態にあるということを理解する必要があります。

 

元々、自分の辛さを表に出さない人が出すようになった時点で、年齢に関係なく要注意です(VIP対応が必要です)。

 

②通院などで適切に対応されていない状態が続いている可能性があります。

つまり、一言で例えるなら、海で溺れてアップアップしている状況です。

 

しかし、周囲からはそこまで深刻に考えられていなことが多いです。

何故かと言うと、頭痛、腹痛、めまいなどの症状は、本人にとっては確かに辛いことですが、それほど緊急性を要するものではない事が多いからです。

しかし、その症状の軽さとは全く異なり、内面の精神状態はかなり切羽詰った余裕のないものとなっていると考えられます。

そして、一度症状が出ると、周囲からの冷ややかな反応を受けてストレスが増大し症状は悪化へ向かうことが多いものです。

 

その背景には、解決されず蓄積された問題があり、その一部が溢れて症状として表面化しているのです。

 

ストレスと症状を、水がコップに貯まる様子を例に例えるなら、ストレスがコップ一杯にたまり、コップの外に溢れ出して表面化したのが具体的な症状と言えます。外に現れる症状だけしか見えないので、軽く扱われてしまいがちですが、実は見えない所にコップ一杯の問題(ストレス)があります(氷山の一角)。

 

本来は内面(コップの中)に目を向けないといけないのですが、そこが見えにくいために、十分に理解されず摩擦が生まれ症状が進行するのだと思います

 

この状態では、本人のエネルギーが絶対的に不足していますので、本人に対し何らかの対応を期待することはできません。いくら論理的に正しくて、頭でそうすべきと理解していても行動できないのです。非常に簡単だと思われていることもできなくなっています。当然、現状を把握することもできません。

 

次回(第3回目)では「不定愁訴を訴えている高齢者への対応」について述べます。

 

精神科医 阿部正人

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