他人に何か言われて、それが気になって頭から離れなくなったことはないですか?
特に、自分の誤りを指摘された時など。
明らかに、人の揚げ足を取ってやろうとする悪意のあるタイプから、純粋に、自分のためを思っていってくれるタイプまでいろいろあると思います。
よく、人から何かを言われたら、「今後の人生に 役に立つところだけを参考にして、その他は忘れてしまうのがベストだ。」と言われています。
しかし、実際には、「頭では、わかっているけど、なんか気になってしまう。」という感じではないでしょうか。
恐らく、感情面で、「どこか、自分が否定された」と言う思いが残ってしまうので、その後も、引きずってしまうのだと思います。人間は、何らかの感情が伴うと、強く記憶に残ってしまう性質があるものです。
そして、頭の中で、その声が繰り返し鳴り響いてしまう。
これが続けば、日々、自分が否定されたという思いを繰り返し、徐々に自信がなくなってしまうのではないでしょうか?
良かれと思ってアドバイスしてくれた人との関係も何となくギクシャクしたりするかもしれません。周りからは、何となく、話しかけにくい人になってしまい、ドンドン孤立してしまいかねません。
さて、このような時、自分の考え方を簡単に変える方法があったらどうでしょう。周りの人にどんなことを言われても、自分に役に立つところだけを取り入れ、その他はきれいさっぱり 忘れることができるでしょう。
そうしたら、周りの人も さらにアドバイスしてくれるでしょうから、自分もドンドン成長できると思います。
周囲とも、よい人間関係が続くでしょう。
というわけで、今回は、「他人に言われたことが気になってしまう時に」というテーマでお伝えします。
ポイントは次の3つです。
1.まず、『絶対的に「正しいもの/善」「間違ったもの/悪」は存在しない。
すなわち、誰も、正しいとか、間違いとは言い切ることはできない。』と考える。
もし、絶対的な判断の存在を信じている場合、単なる妄想に過ぎない。
【何故か?】
理由1 .正しいか、間違いかは将来に決まることだから。
・正しいか、間違いの判断には、自分のこれからの行動が影響する。
(今後の行動により、正しくも、間違いにもなりえる。現在、真理とされていることでも、今後、それを否定する現象が発見されれば簡単に否定されてしまいます。)
例 頑張って、いい結果を出せば、後に、それは正しかったと評価されるでしょう。
理由2. 判断する人の考え方が大きく影響するから。
・将来、どんな結果が出たとしても、結果そのものに意味はなく、どんな意味や評価も与えられるます。
例 当初、望んだ結果が出なくても、その結果を生かすことで、より重要なものにつながることもあります。その場合、最終的に正しいと言えることもありえます。
2.誰も、「正しいとか、間違っている」と判断はできないので、もし、それをもとに自分の評価をしている場合、それは、全く意味がないことであると認識する。さらに、「これからの行動で、自己評価はいくらでも 変わるし、良くなる。」ことを認識する。
3.最後に、頭の中に、“気になっている自分”をイメージし、その上から「評価保留」と書いた大きな紙を張り付けたところをイメージする。
◆そもそも、なぜ、人が言ったことが気になってしまうのか?
突き詰めていくと、先ほども少し述べましたが、自分の存在や、行動を否定されたと思うからだと思います。
つまり、人に言われたことで、「自分は間違っている、正しくない」という判断をし、自己評価が下がってしまうからと思います。
こうなってしまうと、感情が動いてしまいますので、頭で無視しようとしても 難しいものです。
◆そもそも、正しい、間違いの評価は、何を基準になされているのか?
多くの場合、社会の一般的な常識的をもとになされていると思います。
つまり、社会の常識を基準に「正しいか、間違っているか、善か悪か」を判断しているのがほとんどです。
しかし、これは本当に正しいのでしょうか?そもそも、正しいとか、間違っているというのは、簡単に言えるものなのでしょうか?
これについては一度疑ってみた方が良いと思います。
★常識については、「常識にとらわれて苦しくなっている方へ」に詳しく書きましたのでご参考ください。
◆「正しいか間違っているか、善か悪かという判断」の妥当性について
「正しいか間違っているか、善か悪か」は、将来決まることであり、しかも、それを判断する人の考え方が反映されるものです。よって、判断する時期、判断する人の考え方によって、いろいろな判断がありえますので、絶対的なものはあり得ません。
それにもかかわらず、絶対的な評価があると信じ、それにより自己評価を下げてしまうのは是非、避けなければなりません。
こうして、絶対的な評価は存在しない ということを知ることで、気持ちが楽になる場合も あるかもしれません。
◆それでも、不十分な場合に備えて。
無理やり「大丈夫、大丈夫」といっても、十分な根拠がなければ、潜在意識は、それを察知し、結局、自己評価を下げてしまいます。
そこで、現状を正しく認識した評価 を与えることにします。
絶対的な評価というものはないという認識を踏まえ、「評価保留」という評価を与えます。
これだと、比較的受け入れやすく、しかも、自己評価を下げることはないと思います。
それを効果的に行うために、イメージの力を利用します。
◆最後に
私たちは、「善か悪か」という判断基準で行動し、結果として、あれこれ悩むことが 多いのではないでしょうか?
どうせなら、絶対的評価ができないような「善か悪か?」という判断基準は捨てて、代わりに、「自分の心に正直かどうか?」を判断基準にして日々を過ごしてみてはどうでしょうか?
「自分の心に正直」でありさえすれば、他の誰が何と言おうと、自己評価を高く維持できるので、悩むことが減ると思いますよ。
精神科医 阿部正人